2008.2.7
l'explication scientifique ----- la loi de la nature
Qui parlent la loi de la nature dans l'Antiquité ? --- Personne!
Aristote : pas de relation mathémathique
Lucrece : l'énoncé des quelques lois
Archimède
equilibre des corps ---- régi par la loi
-------------------------------------------------
Le génie d'Archimède en mécanique et en mathématique fait de lui un personnage exceptionnel de la Grèce antique et justifie la création à son sujet de faits légendaires. Ses admirateurs parmi lesquels Cicéron qui découvrit sa tombe, Plutarque qui relata sa vie, Léonard de Vinci, et plus tard Auguste Comte ont perpétué, enrichi les contes et légendes d’Archimède.
À l'instar de tous les grands savants, la mémoire collective a associé une phrase, une fable transformant le découvreur en héros mythique : à Newton est associée la pomme, à Pasteur le petit Joseph Meister, à Albert Einstein la formule E = mc². Pour Archimède, ce sera la phrase Eurêka ! (en grec : j'ai trouvé !) prononcée en courant nu à travers les rues de la ville alors qu'il venait de trouver l'explication de la poussée du même nom. Archimède venait enfin de trouver la solution à son problème : en effet, il était courant à cette époque que les rois en manque d'argent fondent leurs bijoux en or et découvrent que les présents qui leur avaient été faits n'étaient en réalité que du plomb plaqué or ou un mélange d'or-argent ! Le roi avait chargé Archimède de trouver un moyen pour déjouer cette fraude[5]. C'est dans sa baignoire, alors qu'il cherchait depuis longtemps, qu'il trouva la solution, d'où sa joie ! Il put mesurer le volume de la couronne par immersion dans l'eau puis la peser afin de comparer sa masse volumique à celle de l'or massif.
アルキメデスの原理を発見した。
ヘロン王が金細工師に金を渡し、純金の王冠を作らせた。ところが、金細工師は金に混ぜ物をし、王から預かった金の一部を盗んだ、といううわさが広まった。そこで王はアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じた。アルキメデスは困り果てたが、ある日、風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見て、その瞬間、アルキメデスの原理を発見したと言われる。このとき浴場から飛び出たアルキメデスは「ヘウレーカ(ΕΥΡΗΚΑ)、ヘウレーカ」(分かったぞ)と叫びながら裸で走っていったという伝説も残っている。アルキメデスは金細工師に渡したのと同じ重量の金塊を用意し、金塊と王冠のそれぞれを、ぎりぎりまで水を張った容器に入れた。すると、王冠を入れると、金塊を入れたときよりも多くの水があふれ、金細工師の不正が明らかになった。金細工師の名は知られていないが、その後死刑になったと伝えられる。
« Donnez moi un point d'appui et un levier et je soulèverai la Terre. »
「私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう」
« Ne dérange pas mes cercles ! », prononcé devant un soldat romain qui le déconcentrait peu après la prise de Syracuse. De rage, le soldat le tua.
第二次ポエニ戦争でシラクサがハンニバル側に味方したため、ローマ軍に包囲されたときには数々の発明品(凹面鏡を作ってローマの軍船を焼いたとも伝えられるが真偽の程は定かではない)でローマを苦しめたという。シラクサ陥落の際、ローマ側の将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスは「決してアルキメデスを殺すな」と命令を下していたが、地面に図形を描いていたアルキメデスはそれを踏みつけた兵士に反抗し、結果その一兵士の手によって殺害された。(アルキメデスの最期の言葉は、「私の図形をこわさないでくれ(私の円を踏むな)」だったと伝えられる。)その兵士は命令違反によって処刑されている。その後、その報告を聞いたマルケッルスによって墓が作られたという。
-------------------------------------------------
17e s.
Descartes, Newton, Leibniz, Kant ; relation mathémathique abstraite, la nature régi de loi, pas de Dieu
cartesien : la loi ne change pas ---> Poincaré demande si c'est vrai.
David Hume (26 avril 1711 – 25 août 1776) : critique de la causalité
le premier d'avoir clarifié problème de l'induction : Comment est-ce que chaque observation peut être généralisée ?
nous ne pouvons pas justifier §§
nous croyons la persuasion, purement psychologiquement
nous n'avons aucun fondement de connaissance sauf via expérience.
vs Emmanuel Kant (22 avril 1724 à Königsberg - 12 février 1804):
Loi = universelle, nécessaire
distingué deux lois :
* loi empirique ; registration des phénomènes
* loi a priori : plus fondamentale, l'entendement
-------------------------------------------------
Division générale de la philosophie kantienne
Les trois grandes branches de la philosophie kantienne sont les suivantes : philosophie théorique (développée surtout dans la Critique de la raison pure)
philosophie pratique (exposée dans la Critique de la raison pratique'' et les Fondements de la métaphysique des mœurs)
esthétique (dans la Critique de la faculté de juger).
* La philosophie théorique a pour but de répondre à la question "que puis-je savoir?". Elle ne tente donc pas de connaître un objet particulier (comme la Nature pour la physique ou le vivant pour la biologie) mais de limiter et de déterminer la portée de nos facultés cognitives c’est-à-dire de la raison en langage kantien (cf. le titre Critique de la raison pure).
* La philosophie pratique a pour objet la question "que dois-je faire?" et elle comporte aussi bien la philosophie morale que la philosophie du droit ou que la philosophie politique. La philosophie pratique s’intéresse aussi à la question "que puis-je espérer?". Elle tente de montrer que même si cela est indémontrable, il faut croire si on ne veut pas saper la morale que l’âme est immortelle et que Dieu va punir et récompenser les hommes en fonction de leur vie sur terre.
* L’esthétique a pour objet de déterminer la nature et la portée exacte de la faculté de juger, qui est au fondement du jugement esthétique et qui a une fonction médiatrice entre philosophie théorique et pratique.
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。ドイツ観念論哲学の祖でもある。
前批判期
初期のカントの関心は自然哲学にむかった。とくにニュートンの自然哲学に彼は関心をもち、『引力斥力論』などニュートンの力学や天文学を受容した上でそれを乗り越えようとする論文を書いた。自然哲学においてはことに星雲による太陽系成立について関心を示した。また若干の地質に関する論文を書いた。
一方でカントはイギリス経験論を受容し、ことにヒュームの懐疑主義に強い衝撃を受けた。カントは自ら「独断論のまどろみ」と呼んだライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学の影響を脱し、それを経験に基づかない「形而上学者の夢」とみなすようになる(『視霊者の夢』)。自然科学と幾何学の研究に支えられた経験の重視と、そのような経験が知性の営みとして可能になる構造そのものの探求がなされていく。
またカントはルソーの著作を読み、その肯定的な人間観に影響を受けた。これは彼の道徳哲学や人間論に特に影響を与えた。
こうして知性にとって対象が与えられるふたつの領域とそこでの人間理性の働きを扱う『可感界と知性界について』が書かれる。この時点で後年の『純粋理性批判』の基本的な構想はすでに現れていたが、それが一冊の本にまとまるまでには長い年月を要することになる。
批判哲学
従来人間外部の事象、物体について分析を加えるものであった哲学を、人間それ自身の探求のために再定義した「コペルニクス的転回」は有名。彼は人間のもつ純粋理性、実践理性、判断力とくに反省的判断力の性質とその限界を考察し、『純粋理性批判』以下の三冊の批判書にまとめた。「我々は何を知りうるか」「我々は何をなしうるか」「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いが、それぞれ『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』に対応している。カントの批判とは否定ではなく吟味を指す。
認識論
カントによれば、人間の認識能力には、感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリに備わっており、前者の感性には、純粋直観である空間と時間、後者の悟性には、因果性などの 12 種の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する)が含まれる。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。意識は、その二種の形式(感性と悟性)に従ってのみ物事を認識する。この認識が物の経験である。他方、この形式に適合しない理性理念は原理的に人間には認識できないが少なくとも課題として必要とされる概念とされる。理性推理による理念は、いわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である。神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体(Ding an sich)と呼ぶ。いわゆる二律背反においては、定立の側では完全な系列には無制約者が含まれると主張される。これに対し反定立の側では制約が時間において与えられた系列には被制約者のみが含まれると主張される。このような対立の解決は、統制的ではあっても構成的ではない理念に客観的実在性を付与する先験的すりかえを避けることを必要とする。理念は、与えられた現象の制約系列において無制約者に到達することを求めるが、しかし到達して停滞することは許さない規則である。(『純粋理性批判』)
なお『プロレゴメナ』によれば、純粋悟性概念はいわば現象を経験として読み得るように文字にあらわすことに役立つもので、もしも物自体に関係させられるべきものならば無意義となる。また、経験に先行しこれを可能にする超越論的(transzendental)という概念は、かりに上記の概念の使用が経験を超えるならば超越的 (transzendent)と呼ばれ、内在的(immanent)すなわち経験内に限られた使用から区別される。
倫理学
理性概念が(直観を欠くために)理論的には認識されえず、単に思惟の対象にすぎないことが『純粋理性批判』において指摘されたが、これら理性理念と理性がかかわる別の方法が『実践理性批判』において考察されている。『実践理性批判』は、純粋実践理性が存在すること、つまり純粋理性がそれだけで実践的であること、すなわち純粋理性が他のいかなる規定根拠からも独立にそれだけで充分に意志を規定しうることを示すことを目標としている。カント道徳論の基礎であるこの書において、人間は現象界に属するだけでなく英知界にも属する人格としても考えられ、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、物自体の秩序である英知界における因果性の法則にも従うべきことが論じられる。カントは、その物自体の英知的秩序を支配する法則を、人格としての人間が従うべき道徳法則として提出する。道徳法則は、「あなたの意志の格律がつねに同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ(Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.)」という定言命法として定式化される。カントは、純粋理性によって見出されるこの法則に自ら従うこと(意志の自律)において純粋理性が実践的に客観的に実在的であることを主張し、そこから自由の理念もまた実践的に客観的実在性をもちうると論じた。道徳法則に人間が従うことができるということが、英知界にも属する存在者としての人間が自然的原因以外の別の原因を持ちうる、すなわち自由であるということを示すからである。また、神・不死の理念は、有徳さに比例した幸福(すなわち最高善)の実現の条件として要請される。
美学・目的論
最後にカントは狭義の理性ではないが、人間の認識能力のひとつ判断力について考察を加え、その一種である反省的判断力を「現実をあるカテゴリーの下に包摂する能力」と定式化し、これを美的(直感的)判断力と目的論的判断力の二種に分けて考察を加えた。これが『判断力批判』である。この書は、その後展開される実践論、美学などの基礎として評価されている。またハンナ・アレント以降、『判断力批判』を政治哲学として読む読み方が提示され、現代哲学においてカントの占める位置は極めて重要であるといえよう。
批判期以降のカント(後批判期)は、ふたたび宗教・倫理学への関心を増した。とくにフランス革命にカントは重大な衝撃を受け、関心をもってその推移を見守っていた。後期著作の道徳論や人間論にはその知見が投影されている。その道徳論は義務論倫理として現在の二大規範倫理学の一方をなしている。
名と姿
カントの両親は、彼をエマヌエルと名づけたが、長じてカントはヘブライ語を知り、その知識からイマヌエルとみずから改名した(「イマヌエル」עמנואל とはヘブライ語で、「神共にあり」の意味である)。カントの容貌については、弟子の証言によると、青く小さな、しかし輝く瞳をもった小柄な(身長157センチ程度)人物であった。身体は骨格、筋力ともにやや貧弱。正装する時には服が身体から滑り落ちるのを防ぐため、いわゆる「留め具」が欠かせなかったという。身体の割に頭は若干大きめだった。なお、虚弱という割には最晩年まで命にかかわるような病気とは無縁で、顔色もすこぶるよかったらしい。
独身主義者カント
カントは生涯独身を通した。彼が哲学の道に入る契機となったニュートンも独身であったが、ニュートンの場合は、仕事が忙し過ぎて恋愛の暇がなかったと言われる。カントの場合は、女性と距離を置き、積極的な求婚をしなかったためだとされる。真相は不明で、カントも忙し過ぎたのかも知れない。
規則正しい人カント
カントは規則正しい生活習慣で知られた。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。これは、カントの性格の一部でもあったようで、素行の悪さの故に従僕ランペを解雇したあと、新しい従僕になじめず、メモに「ランペは忘れ去られるべきである」と書き付けた。
ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントはジャン=ジャック・ルソーの「エミール」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントはルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて「わたしの誤りをルソーが正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている。
・・・この話については年を取って生活が単調になった結果、という指摘もある。若い頃にはたまに夜中まで友達と飲み歩くようなこともしていたらしい。
カントの言葉
* 私自身は生まれつき研究者である。無学の愚民を軽蔑した時代もあった。しかしルソーが私の謬りを正しくしてくれた。私は人間を尊敬することを学ぶようになった。
* 歴史的意味においてでないかぎり哲学を学ぶということはできない。かえって理性に関しては、哲学的思索をすることを学び得るばかりである。
* あることをなすべき(soll)であると意識するがゆえに、そのことをなすことができる(kann)と判断するのであり、道徳法則がないとすれば彼にはいつまでも知られるはずのない自由(Freiheit)をおのれのうちに認識するのである。
-------------------------------------------------
Pierre-Simon Laplace (23 mars 1749 - 5 mars 1827) : déterministe strict
Le sommet de l'idée que la nature est régie par la loi. Il n'y a pas d contingence.
La loi est partout et universelle.
la théorie des probabilités ; loi de Bayes-Laplace, ancêtre des statistiques inférentielles
Laplace est connu également pour son « démon de Laplace », lequel a la capacité de connaître, à un instant donné, tous les paramètres de toutes les particules de l’univers. Il formule ainsi le déterminisme généralisé, le mécanisme. L’état présent de l’univers est l’effet de son état antérieur, et la cause de ce qui va suivre. « Une intelligence qui, à un instant donné, connaîtrait toutes les forces dont la nature est animée, la position respective des êtres qui la composent, si d’ailleurs elle était assez vaste pour soumettre ces données à l’analyse, elle embrasserait dans la même formule les mouvements des plus grands corps de l’univers, et ceux du plus léger atome. Rien ne serait incertain pour elle, et l’avenir comme le passé seraient présents à ses yeux. » Dans cette perspective, l’auteur adopte une position déterministe, soit une position philosophique et scientifique capable d’inférer de ce qui est, ce qui sera. Ce concept de démon sera notamment remis en cause par le principe d'incertitude de Heisenberg.
Il croit fermement dans le déterminisme causal, qui apparaît dans la citation suivante extraite de l’introduction d''Essai:
« Nous pouvons considérer l’état actuel de l’univers comme l’effet de son passé et la cause de son futur. Une intelligence qui à un instant déterminé devrait connaitre toutes les forces qui mettent en mouvement la nature, et toutes les positions de tous les objets dont la nature est composée, si cette intelligence fut en outre suffisamment ample pour soumettre ces données à analyse, celle-ci renfermerait dans une unique formule les mouvements des corps plus grands de l’univers et des atomes les plus petits ; pour une telle intelligence nul serait incertain et le propre futur comme le passé serait évident à ses yeux »
— Essai philosophique sur les probabilités, Laplace
Laplace espérait que l’humanité aurait amélioré sa compréhension scientifique du monde et croyait que, si elle fut complétée, elle aurait encore eu besoin d’une extraordinaire capacité de calcul pour la déterminer complètement en tout instant particulier.
ラプラスの悪魔とは、主に物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。 量子論登場以前の、ニュートン物理学(古典物理学)における、演繹的な究極概念、因果律の終着点といってよい。
ラプラスは自著において以下のような主張をした。
もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。(『確率の解析的理論』1812年)
つまり、世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができるような知性が、もしも仮に存在すると仮定すれば(ひとつの仮定)、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから(別の仮定)、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるだろう、と考えたのである。この架空の超越的な存在の概念を、ラプラス自身はただ「知性」と呼んでいたのだが、後にそれをデュ・ボワ=レーモンが「ラプラスの魔」と呼び始め、その名称が広まることになった。
この概念・イメージは、未来は現在の状態によって既に決まっているだろうと想定する「決定論」の概念を論じる時に、ある種のセンセーショナルなイメージとして頻繁に引き合いに出された。
批評
後に明らかにされた量子力学により、原子の位置と運動量の両方を正確に知ることは原理的に不可能であることが分かり(不確定性原理)、また、原子の運動は確率的な挙動をすることが示され、ラプラスの悪魔でさえも未来を完全に計算することはできないということになった。
また、情報処理の速度というものを考えて、たとえラプラスの悪魔が全原子の状態を把握していたとしても、その1秒後の状態を予測するのに1秒以上かかったのでは未来を知った事にはならないとする論議で決定論について考察することもある。
一方、エヴェレット解釈の立場を取れば、観測者も確率とは無縁であり、決定論的であるとする人もいる。その意味では、ラプラスの悪魔は古典的な意味とはまた別の意味で生き続けているとも考えられる。
「全てを知っており、未来も予見している知性」については、遙か昔から人類は意識しており、通常それは「神」と呼ばれている。「全知の神」と形容されることもある。そのような存在についての様々な考察は、例えばキリスト教の伝統においては神学やスコラ哲学が行ってきた。他の文化にもそれぞれの考察の歴史がある。
-------------------------------------------------
Auguste Comte (19 janvier 1798 - 5 septembre 1857)
Le but de la science est de trouver la loi.
la loi = comment relate entre 2 faits sans réfléchir sur la cause ?
Pour Auguste Comte, le positivisme est lié à l'émergence de l'âge de la science caractéristique de « l'état positif » qui succède, dans la « loi des trois états », à « l'état théologique » et à « l'état métaphysique ».
(1) L’état théologique
Appelé aussi âge théologique ou « fictif », il correspond à celui de l'âge de l'enfance de l'humanité ; dans lequel l'esprit recherche la cause des phénomènes soit en attribuant aux objets des intentions (cf. fétichisme), soit en supposant l'existence d'êtres surnaturels (religion polythéiste) ou d'un seul Dieu (monothéisme). C'est donc le début de l'exercice de la pensée. L'enfant prend conscience de son propre pouvoir ; il croit alors à un pouvoir magique. Cette notion est amplifiée par l'apparition de la parole, l'enfant joue avec le langage (mensonges, ...). Il y a aussi une forte croyance aux choses : le fétichisme se traduit par la religion des forces de la nature. Toute la nature est une divinité ; c'est l'animisme. Peu à peu, les esprits deviennent des hommes et la religion de la nature se transforme en religion politique.
(2) L'état métaphysique
Appelé aussi âge métaphysique ou « abstrait », il correspond à celui de l'adolescence de la pensée ; dans lequel les agents surnaturels sont remplacés par les forces abstraites :
* la « Nature » de Spinoza,
* le « Dieu géomètre » de Descartes,
* la « Matière » de Diderot,
* la « Raison » du siècle des Lumières.
Cette époque est un progrès par rapport à la pensée anthropomorphique antérieure. Mais la pensée reste prisonnière de concepts philosophiques abstraits et universels. On rapporte la réalité à des principes premiers. C'est la « Méthode du philosophe », écrit Auguste Comte.
(3) L’état positif
Appelé aussi âge positif, il est décrit comme « l'état viril de notre intelligence ». L'esprit positif rejette la recherche du « pourquoi ultime » des choses pour considérer les faits, « leurs lois effectives, c’est-à-dire leurs relations invariables de succession et de similitude » (Cours, I). Le recours aux faits, à l'expérimentation, à l'épreuve de la réalité est ce qui permet de sortir des discours spéculatifs. C'est le premier principe du positivisme. Alors que l'esprit métaphysique recourt à des concepts éternels et universels, qu'elle ne soumet pas à la réalité, l'esprit positif lui confronte les hypothèses au monde réel.
-------------------------------------------------
La loi est une découverte du 17e s.
L'explication est directement liée à la loi de la nature.
Comment développer la loi de la nature ?
Refs.
1) Henri Poincaré "L'évolution des lois"
2) Nancy Cartwright "Les lois de la physique énoncent-elles les faits ?"